10月13日(探していた眼鏡発見、弁論準備期日、法曹会特別会員懇親会)

 今日は、きちんとした服装でと考えて、和室の奥のおしゃれ着用の洋服ダンスの扉を開けるため、その前に置いてあったダンボールを退かしたら、その陰になっていた小箱の上に、探していた眼鏡。
 花火の日に、来客準備のための掃除中、下を向くと落ちそうになった眼鏡をひょいと脇に置いた記憶はあったのだが、どこに置いたのかはっきりしないまま、2ヶ月を経過して、ようやく見つかったもの。
 掛けてみたが、先日購入した眼鏡の方が良く見えるので、見つかった眼鏡は、ケースに入れて、ひとまずテレビの横の小物入れの引出しに。

午後の事件は、午後3時からとばかり思っていたので、2時に家を出て、有楽町駅前でバスを降り、日比谷公園の中を通って、東京地裁へ。
 民事○○部の書記官室のカウンターで出頭カードに○を付けた所に年配のご婦人が見えて、「私、○○の母です。」と言われてびっくり。
「心配でまいりました。」とのこと。傍で、担当の書記官も困ったというお顔。
「お母様は、当事者ではないので、お部屋に入ることはできません。」と説明して、控室にお連れした。
「息子に午年の弁護士さんに頼むよう話していたのですが、先生は午年とのこと。良かったです、」とのお話や、いろいろなことを話された後、息子さんからの電話に出られた後、「息子に叱られるといけないので、」と言われて、お帰りに。
 間もなく息子さん(依頼者)が見えたので、今回の期日のための簡単な打合せと持参した書面の写しをお渡しした。
 そこで、本日の期日は、3時ではなく、3時半であったことが判明(早目に来て良かった。3時半に来たのでは、お母様にお会いできなかったかも)。

 3時半に期日開始。
 3時45分期日終了。
 その後、弁護士会館の面談室で急ぎ当方が提出しなければならなくなった書面に記載する内容について打合せ。

 依頼者とお別れしてから、法曹会館へ。
 今回は第99回とのことで、次回28年4月の会は、第100回ということを竹崎会長がご挨拶の中で説明。

 今回も、出席者80名のうち、女性の出席者は、特別会員が私と佐々木弁護士(元検事)の2名。正会員が桜井裁判官と岡部裁判官の2名の合計4名だけ。

 今回も常連の村重先生(私の任官後最初の上司)がお元気でご出席。会の間、お目にかかる度に、何度も、新しいグラスに、赤ワインを注いでくださった。

 沢山の方々といろいろ楽しいお話をさせていただいたが、千種先生は、1年半前に、奥様がお留守の時、階段から転落して、右手の親指と人差し指に負傷されたとのことで、ご不自由なご様子(医師から、治るまで3年かかると言われたそう。)、 ◎◎元裁判官は、今月初めに最愛の奥様を亡くされたとのことで、お悲しみで一杯のご様子。「奥様のご遺影はどこに」と伺ったら、「私の寝室に遺骨と一緒に置いてあります」というお話。「私の主人も一昨年暮れに亡くなって、その遺影は、やはり私の寝室に置いてあり、毎朝、毎晩話しかけています。」と申し上げたら、「そうだったのですか。少しも存じませんでした。」と言われてから、「私も、家内の遺影に毎日話し掛けています。」とおっしゃっておられた。ご遺影のお写真は、叙勲の際撮影された和服姿とのこと。

 2ヶ月ほど前に、東弁の民事訴訟問題等特別委員会の皆さんと一緒に裁判官室にお邪魔させていただいた山浦裁判官ともその際のお話など。一時必要ないと言われて廃止されかかった民訴委員会を当時委員長だった山浦裁判官(当時弁護士)が一生懸命この委員会の必要性を説明して、存続できるようにされたというお話なども。

 昭和46年1月に当時司法修習生の亡夫に連れられて、ご自宅まで、結婚のご挨拶に伺った水谷先生(当時亡夫のクラスの弁護教官だったのか、実務修習の指導弁護士だったのかは不明)ともお話。「遠藤實の家内です」と申し上げた時は、別の「遠藤まこと」先生とお考えだったようだが、お話しているうちに思い出されたご様子で、亡夫他界のことを話したら、とても驚いておられた。
 
 同期の☆☆さん(元東京高裁長官)にもお会いできて、いろいろお話。「遠藤さん、よく常議員になれたね。派閥の推薦が必要なのでしょ。」と言われたので、「私の所属しているグループは、少人数で、他になり手がいなかったものですから。」と説明。

 シニアサロンのメンバーの奥様方がまたお会いできることをとても楽しみにしている法曹会館の□□さん(皇太子様にそっくり)に、11月19日に中華料理をいただきに、また参りますのでよろしくと申し上げ、その前の12日にも信窓会の行事で、富士の間へということも。

 今回も、和気藹々とした楽しい懇親会でした。

 有楽町線大江戸線、バスと乗り継いで、8時に帰宅。

16日にさいたま地裁で口頭弁論期日が開かれる事件の依頼者から、体調がすぐれないので、よろしくお願いしますという手紙が届いていた。
 

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