11月23日(勤労感謝の日,今日も仕事,新しい「山一證券株式会社」,山一證券での私の7年間(その1))

午前6時起床
 朝刊を読んでから,メールの確認
 勤労感謝の日
 お陰様で,今日も,元気で,仕事ができる。
 本日の私の予定は,午前中は年金記録事件の,午後は雇用関係事件の各準備書面などの起案。夜は相続・遺言関係2件の検討作業など。


(追記)17:30
午後4時頃,年金記録事件の起案終了,4時半過ぎに依頼者に準備書面案として,FAX送信。

(追記)23:30
テレビ東京のニュース23を見ていたら,突然「山一證券」の話。
元社員の方々が,「山一證券株式会社」を設立し,山一最後の社長だった野澤さんが社外取締役に就任されたそう。
 嬉しいニュースでした。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171123-00000000-fsi-bus_all
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFZ0900O_Z00C11A6K15601/

久し振りに「山一ピープルの掲示板」に投稿
 http://8308.teacup.com/194512/bbs?

(山一證券自主廃業のニュース)
https://www.youtube.com/watch?v=ITjf1Spe8Qg
 
山一證券での私の7年間(その1) 
1 高校3年の秋,高校に届いていた求人先の中から,父に勧められて,山一證券を選ぶことにしました。
 間もなく内定の通知が届いて,山一證券への就職が事実上決まりました(珠算が商工会議所1級というのが良かったようです。入社試験はその後)。

2 昭和36年4月1日に,文京公会堂(現在は文京シビックホール)で新入社員2000名のマンモス入社式が行われ(その様子は,「アサヒグラフ」に掲載されました。当時の社長は,大神一さん),その後,配属先の大手町ビル二階の「東京店総務課」に初出勤,一緒に配属されたお二人(女性)と一緒に,上司や先輩の皆さんにご挨拶した後,一階の大手町支店にもご挨拶に伺ってから,これから担当する仕事の内容についての説明を受けるなどし,近く,土曜日の午後から日曜日までの1泊2日で,春の旅行会として,鬼怒川温泉に行くことになっているので,その日は予定を入れないようにしてくださいと言われました。
 その後,1日か2日だったような気がしますが,本社で,高卒女子の新入社員対象の接遇訓練が行われ,出席して,秘書課の女性の方から,電話の架け方やお客様へのお茶の出し方などの研修を受けました。
 「東京店総務課」は,東京都内の全支店を統括する仕事をしていた部署で,私たちの事務室のお隣は店長室で,後に社長になられた植谷久三さん(当時は常務取締役)がおられ,月1回の支店長会議は,このお部屋で行われました。
 総務課の課員は,課長,課長代理のほか,男性が3名,女性が,私達新入社員3名を含めて,5名だったと記憶しています。
 私の仕事は,月初に各支店から送られて来る予算統制報告書(第1号用紙から第5号用紙まで)と月末の日計表に記載された数字を対照して,誤記やおかしな点がないかどうかのチェックをした上で,予算統制報告書に記載された数字を全支店の名が記載されている集計用紙に費目別に転記して,一覧表を作成してから,全支店の合計額をそろばんで計算した後,支店長会議の資料と本社への報告用の収支一覧表などを作成するというのが毎月初めの重要な仕事で,その後は,各支店への商品別の割当額の計算や表彰基準に基づく支店ごとの点数の計算とその一覧表の作成,男性の方々から回ってくる様々な報告用の文書の清書や,時には,新規開店の支店の開店祝いのパーティーのお手伝いに行ったりもしました。
 楽しい思い出としては,銀座四丁目の交差点の三愛ビルの最上階に「銀座山一ホール」が出来て(屋上には,水色の地に黄色い文字で「銀座山一ホール」と表示された大きなネオン,当時の銀座四丁目の写真には,このネオンが写っています。),週一回英会話教室が開かれるようになったので,新入社員3人で毎週それに出席し,その帰りに,数寄屋橋不二家に寄って,私の帰りを待っている弟達のお土産に,ショートケーキを買って帰宅しました。
 山一證券の依頼で作られた若尾文子主演の「投資令嬢」という映画の試写会にも行かせていただきました。
 社員旅行会は,秋にもあり,その頃山一證券が社員の保養所として新設した箱根の「湖尻富士見荘」に行ったような気がします。
 入社1年目の給料は,1万円で,6月の賞与は,3000円でした。 
 12月の賞与の額は憶えていませんが,1万円くらいだったのではないかと思います。

(続きは,後日)