5月11日(ボ2ネタの記事とコメント,起案,若い弁護士さんからの電話,福井の人権大会)

午前5時20分起床。
 朝刊を読んでから,メールの確認。
 その後,「ボ2ネタ」。
http://d.hatena.ne.jp/bo2neta/

 昨日コメントを投稿した5月10日の下記記事に,私のコメントがUPされていた。

■[話題]原発事故は、まさに人災だったのに,誰も責任を取らない(司法を含めて)。 原発事故は、まさに人災だったのに,誰も責任を取らない(司法を含めて)。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48412?page=4

 本日のこれからの予定は,急ぎ処理しなければならない受任事件関係の各種書面の起案など。
 脳脊髄液減少症患者・家族支援協会に注文していたDVD3枚も届くはずなので,届き次第,書証の追加分として,裁判所・被告代理人,依頼者宛に郵送できるよう準備しておかなければ(記録用のDVDは,他の2件と共通なので,それに新しい番号も付記して,使用。結局,このDVDは,合計10枚購入(代金の合計2万円,依頼者3名には3枚分ずつ負担していただくよう,各預かり金の支出欄に6666円と記入。)。
 昨日届いていた協会の松本副理事長さんからの発送の通知と代金の振込先の連絡のメールの末尾に
「受任された案件が少しでも有利に終わりますことを願っております。」
という記載がされていた。

 そのほか,一昨日,私が霞ヶ関に戻った後のことなど気になるので,仕事の段取りがつき次第,△△さんの病院に行って,△△さんからよくお話を伺って,これからのことについての相談もしてこなければ・・・。

(追記)
 延々と続いている戸籍証明書の請求手続きとして,本日は,さいたま市役所と墨田市役所への請求書を郵送(送ってもらえるのが改製原戸籍,除籍,戸籍になるかがはっきりしないので,取り敢えず,手元にあった定額小為替2750円分を1500円と1250円に分けて同封。足りなければ連絡あり次第追送)。
 その後,依頼者への2回目の経過報告書を作成して,発送。
 ご住所はすぐ近くのようなのだが,メールもファックスもないとのことなので,郵送。

 午前中,一昨日の常議員会で私が質問した年金記録訂正請求の手続きの関係で,若い方からお電話。
 会からのお知らせや研修をすると言っても,おそらく後回しにされてしまうのではないでしょうかというお話。
 そこで,この度東弁の会員ページに掲示板ができたとのことなので,概要を記載したものを私が作成して,皆さんに見ていただけるようにしたいと思うということと,法改正前に年金記録の訂正を求めた案件は二十数万件,そのうち認容された件数は約半分で,13万件ほどが訂正不要として処理され,後は不服の手続きが用意されていなかったので,泣き寝入り。
 法改正後の全国の各厚生局への申立件数は,毎月,記者発表という形式で公表されているが,認容割合は,第三者委員会当時と変わっていない。

 制度が変わって,行政訴訟(処分取消し訴訟)の提起が可能となったといっても,新聞でもテレビでも報道されていないので,一般の方々は知らず,弁護士もほとんど知らないよう。
 年金記録の訂正が認められると,訂正後の記録に基づく計算をした年金額の未払い分が全額支給されることになり,消滅時効の特例法によって,5年を超える分も全額支払われることなるので,古い時期の記載漏れの事案では,相当な額の支払いが受けられるはず。
ということなど説明させていただいた。

 私の受任事件は,終戦直後の会社勤務の途中の期間が被保険者でなかったという扱いにされてしまっている事案。

 相当枚数の給与明細書のうち該当部分がないので,年金保険料支払いの事実を求めることができないとしてその分を認めてもらえないまま,依頼者が3回の申立てをし,その間に勤務から受け取っていた昇進の辞令などもでてきたので,証拠として提出したが,給与明細書でなければダメとされていたもの。

 裁判所ならそんな事実認定はしないはずと考えて,第三者委員会への四回目の申立ては止めさせて,東京地裁への国を被告とする年金記録訂正の義務付け訴訟を提起したのだが,一審は,明らかに不適法として,訴状の副本を国側に送ることもせず,訴え提起から1か月後に突然訴え却下の判決が送られてきたので,当方は,控訴を提起。控訴審では,訴状副本の送達,口頭弁論期日の指定がされて,第一回期日には,辞令などの書証の取調べもされたので,喜んだのも束の間,判決は,年金記録の訂正がされても,直ちに不足額が支払われることになるわけではないから,訂正を求める法律上の利益はないという理由で,不適法として却下した一審判決の判断は正当とされて,控訴棄却。上告と上告受理の申立てをしたが,三行半の決定でおしまいに。
 そこで,これからどうすべきかと考えていた時,たまたま出席した信窓会さいたま支部の講演会(元社会保険庁に勤務されていた方が年金についていろいろ話をされた)で配布されたレジュメの末尾の方に,「年金記録訂正請求手続きの創設」という記載のあることを見つけ,質問してみたが,講師は,よく分からないが手続きが変わるそうという回答。
 そこで,夜遅く帰宅してから,インターネットで「年金記録訂正」というキーワードを打ち込んで,検索してみたら,厚生労働省のホームページの中のその説明の画面が出てきて,その概要を知ることができた。
 おそらく,私が頑張った事件との関係で,あの判決はまずかったと考えたどなたかが急遽厚生労働省に働きかけて,このような制度を創設させることにしたというものなのであろう。
 その晩,依頼者にFAXで報告。
 今度は,行政への申立てを認めてもらえなくても,訴訟で争うことができるので,頑張りましょうという説明をさせていただいた。
 それにしても,おびただしい数の訴訟が提起される可能性のある案件(被告国の指定代理人を務める訟務局は大変)。それを考えて,行政処分は,全国の厚生局で行うこととされ,訴訟事件の提起も,全国の地方裁判所で行えるようになっている。
 日弁連でその対応ができるようにしてもらわないと,そのうちこの種事件に限っては,社会保険労務士行政訴訟代理人になれるというような扱いにされてしまう恐れがある,早く弁護士会の皆さんにお知らせしなければと考え,その手始めに,昨年の東京弁護士会の会長選挙の公聴会の際,会長侯補の方々に,年金記録訂正請求の創設によって弁護士しか代理人になれない行政訴訟の提起が認められるようになったということをご存知ですか。その手続きとの関係で,弁護士会としては,まず何をすべきとお考えでしょうか。との趣旨の質問をさせていただき,前会長からは,「知らなかったが,それが本当のことであれば,私が会長に選ばれた際には,弁護士へのお知らせと研修をさせていただきたいと考えております。」との趣旨の回答をいただいた。そして,自治体法務研究部でも40分ほどの時間をいただいて,その話をさせていただいた。
 ところが,それから1年,所属弁護士会では,何もされず,昨年の人権大会の最後の方で,年金記録訂正請求の手続きについての話を3分くらいさせていただいたが,それきりで,行政訴訟が提起されたという話を聴くこともなく時が過ぎてしまったので,これでは困るし,若い弁護士にとって,行政訴訟の勉強もでき,うまく請求が認められれば,依頼者にとっても弁護士にとっても,相当額の未払い年金の支給と報酬金収入が得られるというやりがいのある事件なので,是非頑張って欲しいと考え,質問という形で,常議員会の席でお知らせした次第という経過説明もさせていただいた。

 行政訴訟と言っても,その中身は,年金記録の訂正をすべきとの主張の基礎となる事実の存在についての立証なのであり,弁護士としての知恵と腕を大いに振るって頑張れば,裁判所には認めてもらえる可能性のある事案が多いはずと考えられる事件なのです。
 
 高齢の方も含む一般の方々に広く予告した上で,年金記録訂正請求についての法律相談会を開催すれば,どの会場も,相談者で溢れるのではないでしょうか。
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12500000-Nenkinkyoku/teisei_03.pdf

(追記)
△△さんの病院行きは,13日の事件の原告代理人から準備書面や書証がFAX送信されてきた関係で,取止めにして,依頼者宅の奥様のパソコン宛に書面のPDFをメールに添付して送信。依頼者には携帯電話で連絡を試みたが,出られず。
 6時頃,出先からとのお電話。お帰りになってから読んでいただき,反論したい部分があれば,返信メールに記載してお送りくださいと連絡。
 明後日が期日,書面の提出期限は6日とされ,こちらは6日にきちんと提出したのだが・・・(昨日,さいたま家裁の調停を済ませて帰宅したら,担当部の書記官さんから
6日が提出期限の陳述書と人証の申出書がまだ提出されていない,事前の検討ができず困るので,早く提出をとの趣旨のFAXが届いていたので,担当部に電話して,こちらは6日にFAX送信したのですがと申し上げ,確認していただき,「間違いでした。申し訳ありません。」と言われたが,おそらく,その後,提出が遅れているのは,原告側ということになって,担当書記官さんから原告代理人への催促のFAXが送信され,本日の午前中に準備書面,夕方に書証の写しの送信ということになったのであろう。

 リブラの5月号と一緒に届いた福井の日弁連人権擁護大会についてのパンフレットを見たら,10月6日が分科会,7日が大会,8日と9日に一泊旅行などという予定が記載されていて,旅行会社への各種申込書も綴られていたので,業務日誌を見たら,この4日間の予定はまだ入っていないことから,旅行も含めて申し込むことにし,羽田から小松までの航空券(6日と8日)と6日と7日のホテルの予約をANAのパックで済ませた(料金は合計31400円だが,じゃらんのポイントが1000点あるとのことで,支払額は30400円に(往復の航空券とホテル2泊なのに随分廉く済んだ。往きの8時20分羽田発,9時20分小松到着のANA便は,既に旅行会社に相当数押さえられてしまっていたのか,空席が少ししかなく,辛うじて前の方に残っていた真ん中の2席のうちのひとつの座席指定をすることができた(ほかの空席は,後の方に少しだけ。帰りの方は,9日なので,空席がかなりあった。6日の朝航空機で小松までと考えておられる人権大会1日目の分科会に出席予定の方は,早目に予約された方がよいと思います。)。
 一泊旅行の参加費は78000円(随分高額だか,内容が良いのであろう)

今回は,一人で自由に行動できるので,これまで参加できずにいた大会後の懇親会にも出席して,沢山のお仲間との交流を楽しんでくることにしたい。

 福井は,訟務検事の2年目から4年目の7月半ばまでの名古屋法務局勤務時代,私の担当だった所。
 当時の福井地方法務局の訴訟事件の数は少なかったので,訟務課長から「検事さん,余り早く終らせないようにお願いします」と言われたのが懐かしい。
 午前中裁判所大野支部での期日に出廷した後,法務局大野支部で打合せをしていたら,亡夫からの電話で,胃がんで入院していた仙台の義父が亡くなったという知らせを受け,急ぎ大野から名古屋の役所に戻って,必要な手続きを済ませた後,名古屋の宿舎(名城住宅)で必要な衣類などトランクに詰めて,新幹線で東京へ。そして,高島平の自宅(当時高島平の公団賃貸住宅に住んでいた。)に帰って,待っていてくれた亡夫と一緒に仙台の実家へ夜遅く到着し,義父の遺体に対面という大変なこともあったが,楽しい思い出も沢山。

 他の予定が入らないよう,業務日誌に赤ペンで人権大会と大きく記入(中央大学のホームカミングデイは10月23日(日)の予定なので,大丈夫。10月8日の民法研究会は,申し訳ないが,欠席させていただきます。)。