4月20日(シニアサロンの報告書を社会福祉協議会に提出,主張書面の起案,民訴委員会の前委員長の慰労会)

午前6時起床
朝刊を読んでから,メールの確認。
7時半頃,近所のコンビニへ行って,28年度中のシニアサロン関係の写真をデジカメから1枚ずつプリント。
帰宅してから,その写真をA3のコピー用紙に貼り付けて,撮影時期,撮影場所などの記入。
 社会福祉協議会から支持された各報告書,写真,参考資料を揃えて,封筒に入れ,8時頃家を出て,築地までバス,その後は徒歩で八丁堀四丁目の社会福祉協議会へ。
 担当の方に持参した書類をお渡しし,担当の方が,その内容を確認(領収書は,各金額を計算機に入力して,報告どおりであることを確認。写真は,1枚1枚丁寧に私の説明を聴きながら見てくださった。法曹会館の夕食会のフランス料理の写真は「おいしそうですね」とお言われた。)
 「結構です。5月の末か6月の初めに,新年度の助成金をご指定の口座に振り込ませていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。」と言われて,社会福祉協議にお別れ。

 10時少し過ぎに帰宅したら,27日の遺産分割事件の申立人代理人から先に提出した書面に記載の開示請求の回答がまだないので,重ねて請求という内容の文書のFAX。すくに受領書の送信。現在作成中の調査嘱託の回答書の検討結果を記載した主張書面と一緒に,必要と認められる範囲で回答する予定,書面の送信は24日の予定と付記(書面案が出来上がったら,まず依頼者に送信して,誤記や誤算,考え違いなどがないかどうか,よく見ていただいてからでないと,私の一存で,何もかも,すぐ提出というわけにはいかない。)。

 本日の予定は,午後7時から,第二日比谷ビル7階の「日比谷Bar有楽町店」で,民事訴訟問題特別委員会の前委員長の慰労会。
 6時頃家を出る予定。
 それまでは,遺産分割事件の主張書面の起案など。

(追記)
 5時50分に家を出て,バスで有楽町駅前まで。
 家を出る間際に印刷してきた地図を見ながら,辿りついた古いビルの7階へ。
 まだどなたも見えていなかった。
 端の席で待つことに。
 10分程して,幹事の先生がお見えに。

 お客様の前委員長がお見えになり,ほぼ全員揃ったところで,慰労会の開始。幹事さんから,「乾杯のご発声は遠藤先生に」とのご指名を受けて,「僭越ながら」と乾杯の音頭をとらせていただいた。

 和気藹々とした楽しい会だった(洋酒飲み放題。私は,生ビール,赤ワイン,マリアテレジアなんとかという名前のカクテルをいただいた。)。
出席者が1人ずつ立って,順番に話をする機会があったので,私は,昨年12月の定例会で報告させていただいた遺産分割事件の調査嘱託の申立ての件,申立てが採用されて(皆さんの中から,「よく採用に」という驚きの声も),各金融機関から回答書が届き,目下その内容を検討中という話,年金記録の事件で,国(厚生労働省)を相手に,孤軍奮闘しているという話及び境界確定訴訟で公図からも明らかに誤りと言えるとんでもない線を引かれてしまった判決が確定し,予備的主張の時効取得による所有権の取得は認めてもらえたものの,分筆登記の手続きが困難で,時効取得の登記もできず,非常に困っているという話(どうして時効取得の登記ができないのかという質問も)をして,司法研修所では境界確定訴訟についての教育もしておいてもらいたいということを述べた。

 2年間一生懸命委員長としてのお仕事をしていただいた前委員長に感謝するとともに,これから3年間の司法研修所での民事弁護の教官としてのご活躍を,出席者一同心からお祈りし,最後に,副委員長の○○先生から花束贈呈。

 皆さんとお別れしてから,数寄屋橋のバス停へ。
 豊海水産埠頭行きの最終バスは終っていたので,別のバスに乗って,勝どき橋南詰で下車。
 清澄通りの橋の手前で,「先生」と声を掛けられ,左を見たら,23日に打合せをと連絡していた依頼者さん。
 まだおいでいただく時刻が確定していなかったので,また手紙をご自宅のマンションの郵便受けに投函しなければと考えていたところ。
 「1時でよろしいでしょうか」と言われ,「はい,お待ちしています。」と答えて,お別れ。
 
 帰宅してから,昼間の仕事の続き。
 作成中の調査嘱託の結果を整理して記入中の一覧表に更に新たな項目を追加して,回答書から該当する箇所を転記する作業を開始して間もなく,大変なこと(当方のプラスになること)に気付いた。