10月28日(裁判員ストレス障害事件に最高裁決定というニュース,23条照会の回答待ち,管理規約の改訂問題,成田空港訴訟でも同じ日に同じ小法廷で三行半の決定)

午前6時起床
朝刊を読んでから,メールの確認
 福島地裁郡山支部裁判員を務めた女性が,殺人事件の公判で遺体の写真を見せられるなどして,ストレス障害になったとして国に対して損害賠償請求をしていた事件について,最高裁第三小法廷から10月25日付けのいわゆる三行半の決定が女性側に送達されたよう。
 http://this.kiji.is/164296094635098120

 本日も,自宅で仕事の予定。
次回期日前に提出予定の書面の作成との関係で,23条照会請求に対する回答書の到着待ち。
 11月の研修会へのご案内の手紙を郵送させていただいた方々からの参加申込みのメール,FAX,電話,手紙に対する対応も。
 そのほか,30日の午前9時半から傍聴予定の管理組合の理事会との関係で,事前に提出しておきたい意見書の作成作業も。
 
(追記)
午前10時頃,勝どき交差点の銀行と郵便局まで行ってこようと,その支度をしていたら,電話。
出版社の○○さんから。
「1月にお願いする予定だった・・・の原稿のご執筆を,12月中に発刊したいということになったため,来週初めに資料をお持ちするので,それから2,3週間後に原稿をいただくという予定で,お願いできないでしょうか」という内容。11月19,20日の研修会の準備と実施で,忙しい時期なのだが,なんとか頑張ってみることにして,OKということに。

 帰宅して,パソコンの前に腰掛けたら,FAXの受信音。
 平成10年3月卒業の本部会費連続納入者の方から,19日の講演会と懇親会への参加のお申込み。
 すぐに振替用紙同封のお礼の手紙(切手は,昨晩投函した2通に続いて,保存してあった平成3年のお年玉切手シート(41円2枚)を使用)作成して,投函。
 これで,19日の行事の出席者は,講演会43名,懇親会40名に。

(追記)
夕方,郵便受けを覗きに行ったら,赤いレターパックが届いていた。
被告複数の事件の被告会社からの答弁書
5時少し前に,担当書記官から,「被告会社から答弁書が届いたでしょうか。これも受領書をお願いします」という電話。直ちに受領書を作成して,裁判所と被告会社宛にFAX送信。

 5時半頃,郵便受けを覗きに行ったら,届いていたのは,所在不明で戻ってきた研修会の案内書と出版社からの新刊書籍のダイレクトメールだけで,23条照会の回答書は届かなかった(明日を期待)。

 戻りの郵便の転居先が判明したので,その住所を記載して改めて案内書の投函。外は冷たい雨。

 夕食を済ませてから,インターネットのニュースを眺めていたら,成田空港の農地明渡し訴訟についても,25日付けの三行半の決定が最高裁第三小法廷でされていたということを知った。
 余りにも長くなり過ぎた空港建設の適否をめぐる争い,これからどうなるのだろうか。

 任官後4年目の7月に,名古屋法務局訟務部から法務省訟務局に転勤となり,局付として,民事訟務課に勤務するようになって,間もなく,◎◎参事官が担当しておられた相談事件の関係で,開港準備中の成田空港の様子を見に行かれるというので,そのお供をさせていただいたことがあり,管制塔の中からその周囲の状況について説明を受けた。
 その翌年だったか,5月の飛び石連休の時期に,亡夫と一緒に日光の霧降高原の貸し別荘に出かけた晩ュ当時のことが記載されている資料によると5月6日のよう),テレビニュースで,空港公団が申請した断行の仮処分が認められて,開港の障害になっていた鉄塔が倒されたということを知って,非常に驚いたが,その翌々日,出勤して,◎◎参事官から,「遠藤さん,黙っていて,ご免なさい」と言われた後,仮処分の申請書を,前の晩から一人で千葉地裁の近くの旅館に泊まって,翌朝(当時のことが記載されている資料によると5月2日のよう),裁判所に提出しに行ったという△△事務官から,「とても怖かった」という話を聞いた(この事務官は,後に,健康を害されたそうで,亡くなってしまった。)。仮処分の準備は,直接の担当者以外には,極秘の扱いで進められていたよう。その後,仮処分申請書に指定代理人として氏名が記載されていた方々は,△△事務官も含めて,空港反対派から提起された国賠訴訟の被告とされてしまった。
 その後,昭和60年に裁判官となり,その数年後に千葉地裁の民事三部に1年間勤務したことがあったが,成田空港の訴訟事件が係属していて,短期間であったが,右陪席として,審理に関与した(裁判長は,非常に仕事熱心な方だったが,私が翌年八日市場支部に転勤してから,亡くなられてしまった。)。
 そのほか,成田空港といえば,法務省勤務当時から夏と年末年始の休暇を利用して,亡夫と出かけていた海外旅行の際には,箱崎からのリムジンバスで空港まで行く途中,空港の手前で,バスを停められて,パスポートのチェックなどをされるのが,非常に煩わしく感じられるとともに,いつになったら,こういうことが行われなくてもよくなるのだろうと考えたり,命がけで,仮処分申請書を提出しに行ったという△△事務官の顔を思い浮かべたりしたものであった。
 退官後,弁護士登録をしてから,「裁判員制度はいらない!大運動」に参加させていただくようになり,その関係の集まりで,空港反対派の方々やその訴訟代理人をずっと続けておられる先生にもお目にかかるようになったが,成田の事件を裁判官として担当したことがあるということから,裁判員制度反対運動の限度でのお付合いに止めさせていただいてきた。皆さん,実に真面目で,良い方ばかりで,「過激派」などと呼ばれるのは,どう考えても,おかしく,気の毒だなア,なんとかならないのかなアと考えながら,今日に至った。