5月16日(弁論準備期日,かつら合わせ,地震)

 午前5時半起床。
 昨日,出かける前に,本日の待合せ時刻を記載したメールを送信したのだが,帰宅後もお返事のメールが届いていなかったので,もしかしたら,ご主人様のお身体の具合が悪くなられたのだろうかと心配していたところ,今朝,返信のメールが届いた。
 昨日は,ご自身のお誕生日のお祝いで,ご親族の皆さんが集まられ,1日楽しく過ごされ,返信が遅れてしまったのだそう。
 良かった!

 本日の予定は,午前11時から,脳脊髄液減少症訴訟(公共の施設での負傷)の弁論準備期日。先日裁判所に持参したカラー印刷の準備書面と大量の画像ファイルを納めたCD-R6枚を含む書証の提出。

 期日の後の依頼者との打合せを済ませた後,東京法務局へ(訴え提起準備中の事件の被告代表者の資格証明書の交付申請)。

 帰宅後は,起案の続き。

(追記)
今日は,大丈夫だろうと考えていたが,裁判長は,「これだけではダメ,いつまで待たせるんだ」とお怒りの言葉。
 次回までに画像についての説明と診断基準についてのアテハメの主張を完結させなければ,審理の打ち切りも」などとおっしゃったので,また,いろいろ言われるかもしれないが,当方の主張立証の準備に3ヶ月必要と申し上げて,次回までの準備もまた当方ということに。
 裁判長が考えておられる診断基準とは,吉本医師が各意見書の中で診断基準として主張している国際頭痛学会の頭痛分類の中の定めを指すのであろうが,これは,あくまでも頭痛の分類のしかたについての基準に過ぎず,脳脊髄液減少症の診断基準とまで認められるものではないし,近時の裁判例は,こぞって,「起立性頭痛」の存在が要件,「起立性頭痛」の存在は,受傷直後に診察を受けた医師のカルテに明確に記載されていなければ認めることができないなどと判示しているが,とんでもないこと。受傷から長期間経過している原告の受傷当時に,原告の診察をした整形外科の医師には脳脊髄液減少症についての知識など全くといっていいほどなかったのであるから,その医師が記載したカルテに「起立性頭痛」という記載までされているということがあろうはずはなく,そんな判断のしかたをされたのでは,脳脊髄液減少症と認められる者は誰もいないということになってしまう。
 こうした主張は,被告側からの反論や吉本医師の意見書が提出されてから行えば足りると考えていたが,裁判長から先のようなことを言われたのでは,そういうわけにもいかなくなる。
 あと3か月,次回は,もしかしたら,裁判長から今回よりももっと酷いことを言われるかもしれないが,現在の依頼者だけでなく,将来の依頼者となられる方々のため,一生懸命頑張らなければ・・・。
 20日に脳脊髄液減少症患者・家族支援協会の会長さんともうお一人の役員の方がこちらに見える予定なので,いろいろ相談させていただこうと考えているところ。

 帰宅してから,郵便局に出かける際,ロビーで武田タケル君とお母様にお会いした。初めて顔写真の入ったチラシができたとのことで,いただいた。とても可愛らしい写真。
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/484
 「かつら合わせをしてきたの」とタケル君。
 長いせりふもあるそうで,マンションの屋上でのお稽古もしているのだそう。

 6月4日が楽しみ。

(追記)
9時23分に大きな地震
パソコンの椅子から立ち上がって,テーブルの前へ。何も倒れたりする心配はなさそう。テーブルの上に置いてあったハンドバッグを持って,廊下から玄関へ。途中の廊下の壁際に畳んで,立て掛けてある上海博物館で48万円支払って買ってきた宝石画の屏風も大丈夫(3.11大地震の時は,広げて置いてあったので,一直線になって,反対側の壁に傾いた状態になっていた。)。
 玄関の扉を開いて,エレベータホールへ。
 エレベータのボタンを押してみたら,少し経って,上からエレベータが降りて来て,扉が開いた。停止せずに済んで良かった。
 家に戻ってから,東あずまの弟宅に電話。弟の所も大丈夫とのこと。
 茨城が震度5という報道。
 茨城支部長に,「大丈夫てすか」とメールしたら,すぐに「大丈夫でした」というお返事。
 10時半頃,25階のシニアサロンの☆☆さんのお嬢様から「遠藤さん,大丈夫でしたか」というお電話。一人暮らしなので,心配して電話してくださったとのこと。☆☆さんは,三回目のご入院中とのこと。
 いつも心配してくださって,ありがとうございます。
 明日,タケル君の写真が載ったチラシを持って,☆☆さんのお見舞いに伺うことにしたい。