10月7日(五輪メダリストパレードの影響,和解期日)

午前5時30分起床
朝刊を読んでから,メールの確認
本日の和解期日は,午前10時からなのだが,五輪メダリストパレードの関係で,午前9時から,バスの運行が,豊海水産埠頭から勝どき駅前までになってしまい,その先の晴海通りの運行は停止になると聞いていたので,その前に裁判所に行ってしまおうと考えて,午前7時半に家を出て,裁判所の正門前に到着したのが8時ちょっと過ぎ。
 門はまだ閉まっていて,暫く開門を待った。
 8時15分頃開門。
 地下一階の喫茶店に行ったら,開店は8時30分とのことで,開店まで待って,お店の中へ。
 モーニングサービスB(600円)をいただいた。
 私の後に見えた高齢の弁護士さんに店員さんが「先生,皆勤賞ですね。」と話していたので,「おはようございます。」と声をかけさせていただいたら,先方からもいろいろなお話。驚いたことに,お歳は91歳だそう。西武新宿線で毎日こちらに通っておいでなのだそう。背筋がピンとしていて,お歳よりもずっと若く見える。
 東京弁護士会と伺ったので,「先進会員感謝慰労の会」においでになられましたかと伺ったら,「私はああいうものには出ないことにしているのです」というお返事。
 私よりも先に,お食事を召し上がられて,「またお会いしましょう」とおっしゃって,お店を出て行かれた。

 食事を済ませてから,一階の荷物検査の前のソファーに座って,依頼者が来るのを待っていたら,9時半頃,依頼者の姿。

 12階に上がって,民事○部の前の廊下の椅子へ。定刻になっても原告代理人が見えず。前の椅子に腰掛けていた若い女性が,「申し訳ありません。○○は10分位遅れます。」という説明。前回の本人尋問の期日に見えていたイソ弁さんだった。
 書記官が,「被告から先にお入りください」と呼びに来たので,依頼者と一緒に準備室へ。

 いつも女性の裁判長を真ん中に三人の裁判官が並んで座られるのだが,今日は男性お二人だけ。右陪席の裁判官が,「裁判長が急に他の係の方に行ってしまったので,今回は二人だけで」と言われた後,「前回,業者と相談して図面を作成してくると約束したのに,どうしてそのとおりにしなかったのか」と言われて,びっくり。
 こちらは,今回和解案の提示をと言われていたので,現地の状態を確認した上で,本人の希望を確認し,その内容を書面にして,本人が土地の分筆というのであれば,ここまでの線と現地で示した線を登記情報から印刷した建物図面に表示されている土地の中に記入した図面も添付したというもので,その線の位置を説明するだけで済むと考え,業者への図面作成の依頼まではしなかったというだけのこと。
 私が,そうした説明をしたら,右陪席の裁判官は,専ら依頼者本人に対して,あれこれ説明をし,代理人(私)の考えは誤りだと言いながら,次回までに,不動産業者と相談して,遺産の額の4分の1に相当する土地の範囲を図面に表示してもらって来るようにと言って,次回期日を指定。
 この事件は,当方の依頼者が亡母からの遺言で相続した遺産の額にほぼ匹敵する原告名義の巨額の国債と利付き金融債の存在が発覚し,その原資は亡母が自宅に蓄えていた現金であって,一次的にはいわゆる名義預金で遺産そのもの,仮にその主張が認められなくとも特別受益に当たるから,計算上,当方から原告に取得させなければならないものはないと主張しているもので,遺産の額の4分の1に相当する土地を原告に取得させるというのは,原告の請求どおりの和解をせよということ。
 
 期日の後,弁護士会館の面談室で依頼者と打ち合わせ。次回期日は,私だけで出廷することに。

 依頼者と別れた後,日比谷線で銀座まで。
 三越で,明日の信窓会の行事でお見えになられる大学の先生方にお渡しするお土産の和菓子を「たねや」で,二人分購入。
 銀座四丁目のバス停まで行ったら,バスの到着まであと30分位かかるという交通局の係員さんの説明。
 30分ほど待ってようやく到着したスカイツリー駅行きのバスに乗って,勝どき駅前で下車。
 10分程待って,到着した豊海埠頭行きのバスに乗り換えて,1時25分頃帰宅。

 明日は,午前10時半から日比谷公園の中のグリーンサロンで信窓会東京支部の役員会,昼食の後,法曹会館に移って,午後2時から信窓会本部の役員会,3時から顧問・相談役懇親会。その後は,おそらく日比谷で二次会。