令和2年5月15日(金) 今日は亡母の誕生日,家で事件関係の書面の起案など

午前5時半起床

朝刊を読んでから,メールの確認

今日は,私が小学5年生の時他界した亡母の誕生日

 川越の貧しい家の長女で,その父は下駄の製作・小売の仕事をしていたよう。学校の成績はクラスで1番だったようだが,尋常小学校卒業と同時に,製糸工場に住込みの工員として勤務するようになり,給料日になると,実家から亡母の母が給料を受取りに来ていたそう。そのお金の一部は,弟の学資に当てられて,弟は旧制中学に進学して,警察官に。

  亡母は,その後,三十過ぎてから,知合いの方のお世話で,亡父と婚姻。

  亡父は,神田の蕎麦屋の1人息子として何不自由なく育ち,長じてからは,連日歌舞伎座に出入りするなどして暢気に暮らしていた人。

  亡母と婚姻した当時は,既に両親は他界していて,長屋での貧乏暮らしからのスタートだったよう。

 数年後に私が生まれ,更に数年を経て,弟達も。

 下の弟が2歳の時,亡母が亡くなった。長い間の苦しい生活の中で結核に罹っていたことが検視で判明。

 母が大切にしていた数枚の着物は,どれも粗末なものばかりだったが,今も私の子供の時の着物と一緒に我が家の和室の押入れの中の衣装箱に保管されている。そして,母の全優の通信簿も,我が家のウォークインクローゼットの中の和ダンスの中に保管されている。

 私が山一證券に就職した時,身許保証人になってくださったのは,亡母を亡父に紹介してくださった方だったが,私が司法試験に合格した時は,亡母の弟様から丁寧なお祝いのお手紙をいただくことができた。

  亡母の五十回忌は,平成14年に済ませた。百回忌は無理かもしれないので,子供3人が元気なうちに,七十回忌か七十七回忌の法要をと考えているところ。

 

 本日の予定は,

   終日,家で,事件関係の書面の起案など。

 

(追記)翌朝記載

  夕方,郵便受けの確認をしたら,京橋税務署から,消費税の振替納税の通知書が届いていた。5月19日に○○銀行の口座から引落し。