令和2年1月12日(日) 気仙沼旅行第1日目

午前4時半起床

朝刊を読んでから,メールの確認

信窓会東京支部支部報の編集長さんから,10日のメールの趣旨は,原稿の入稿日を11日で締切りとする趣旨ではなく,早く提出して欲しいと連絡したに過ぎないなどというメールが届いていたので,返信。

 本日と明日は,気仙沼旅行なので,その間,自宅への電話,FAX

,メールへの返信は一切できなくなります(携帯電話による受信はしておりません。)。

 

(追記)14日に記載

 午前7時のバスに乗って,東京駅へ。

 千疋屋で弟とホテルのおかみさんへのお土産(フルーツケーキの詰め合わせ)を買ってから,朝食用のお弁当とお茶各2名分を購入。

 山手線のホームで義弟の到着を待つことに。

 携帯電話で時刻の確認をと画面を見たら,義弟からの着信があったことが分かり,電話したら,西武線が人身事故で停車中で,東京駅に到着するのが遅れてしまいそうとのこと。とにかく動き出したら,予定のコースで東京まで来るようにと連絡。

 暫くして,池袋に着いたという連絡。

 新幹線の発車時刻は,8時48分。

 8時20分頃,電話で,「上野で降りて,新幹線ホームに行って,やまびこ42号に乗ってください。分からなかったら,駅員に尋ねるように」と連絡。

 私は,待合せ場所から新幹線のホームに移動。

 定刻,新幹線に乗車。

 上野でドアの前に立ったら,ドアの向こうに義弟の姿。

 間一髪で間に合って,義弟が私の席の隣に着席。

 親切な駅員さんが,今走ってくる電車が「やまびこ42号です」と教えてくださったのだそう。

 という経過を経て,一ノ関に定刻到着し,改札口で待っていてくれた弟と,笑顔で,会うことができた。

   そのほか,新幹線に乗ってきた義弟から,暮れに交通事故に遭って,大変な思いをしたという話を聴いて,びっくり仰天。

 軽乗用車に乗って走っていた際,対向車がセンターラインをオーバーして義弟の車に衝突し,義弟の車は修理不能の状態に。義弟は身体のあちこちを打撲し,肋骨が折れていたが,幸い,生命に別状はなく,入院はせず,通院による加療を受けるようになったとのこと。乗っていた車は,昨年新しく購入したばかり。

 気仙沼旅行への参加は無理ではないかと考えていたが,なんとか行けそうということになって,その準備をし,本日に至ったのだそう。

 

 一ノ関の駅前で,義妹(弟の妻)と会って,弟の運転で,気仙沼市内へ,そして,更に陸前高田へ。

 まず昼食をということで,陸前高田の「やぶ屋」という老舗のお蕎麦屋さんへ。

 店内は混んでいて,入口のストーブの前の椅子に腰掛けて,30分位待ってから,店内へ。

 レストランが少ないので,こういう混雑になるとの説明。

 私は,カレーうどんをいただいた。とてもおいしかった。

 ほかの3人は,天ぷらそばなど。

 昼食の後は,「つばき園」の見学。

 温室の中の世界中の椿の花を30分位かけて眺めた。

 

 その後,気仙沼市内に戻って,4時少し前に,気仙沼サンマリンホテル観洋へ。

 ホテルでは,まず,フロントでのチェックイン。

 1部屋での予約だったのだが,最上階の洋間付きの2部屋(1002号と1003号)を各2名宿泊として,準備してくださっていた。

    まず1002号室で,お茶を飲みながら,4人での歓談。

 甥は,夕食に間に合うように来て,夕食は,バイキングではなく,和室の宴会場(個室)に準備してくださっているとのこと。

 5時から温泉へ。

 6時に宴会場へ。

 板長様作成の献立表がテーブルの上に。

 まず,食前酒で乾杯。

 あとの飲み物は,女将さんからのサービスにしていただけるという説明がご担当の方から。

 間もなく,甥が到着。

 義妹は,気仙沼生まれの気仙沼育ちなのだが,生ものが食べられないとのことで,ホテル内の和食店から,焼き魚などの出前を別途注文し,お刺身は,活き鮑の陶板焼きのお鍋に全部入れて,バター焼きに。熱を通すわけには行かない生ものは,他の人のテーブルへ。

 亡夫の妹は、義妹と同じ女子高校の卒業生なのだが,やはり生ものを食べることができず,お寿司屋で食べられるのは,卵焼きと海苔巻きだけ。

 おいしい海の幸をお腹一杯いただいて,8時に宴会終了。

また,1002号室に集まっての歓談となり,甥は,11時頃,帰宅。残りの4人は,それぞれ入浴などしてから,就寝(1002

号室では,洋間のベッドに私,和室の布団に義弟が寝た。)。