1月28日(支部報の校正,亡義母宅への仏壇仏具の配達)

午前6時起床
朝刊を読んでから,メールの確認
朝刊に志津川のホテル観洋の広告が大きく掲載されていた。女将さん,頑張っているなー。
支部報の編集長さんからメールで,支部報のゲラ。
いろいろ修正していただきたい箇所が見付かったので,その内容を記載して,返信。
 昨夕届いた遺産分割事件の申立人代理人の主張書面をPDFにして,依頼者にメールで送信。反論は,現在起案中の書面の中に記載することにして,その書面案は29日中,遅くとも30日には送信させていただく予定と記載。

 明日のシニアサロンの定例会の案内書を先月の定例会に見えて,メンバーに加入された方の郵便受けに入れていなかったことに気がついて,急ぎお部屋の新聞受けに投函。

 本日の予定は,午前8時に家を出て,狭山ヶ丘へ。
 義母の仏壇と仏具が11時から1時までの間に配達される予定という連絡を昨日,義弟から受けたので,到着前に亡義母宅に着くようにする予定。
 仏壇の設置が済んだ後,駅前で義弟と一緒に昼食をとってから,帰宅するので,帰ってくるのは4時頃になってしまいそう。

(追記)午後3:56
 午後3時50分に狭山ヶ丘から帰宅。

 狭山ヶ丘の駅に着いたのは,午前10時少し前。
 駅前の花屋さんで,仏様のお花(756円)を買ってから,徒歩10分程の亡義母宅へ。
 練馬駅の構内の神戸屋で買って来たスペシャルサンドイッチ2箱を義弟と一緒にいただいてから,義弟が買っておいてくれた筆ペンで,明後日,お寺に持参するお布施(5万円),石屋さんへの納骨のお礼(2万円),塔婆料5軒分(1万5000円)の表書き(義弟は余り字が上手でないので)。
 お布施と塔婆料は,私が全額負担させてもらうことに。

 11時に仏具屋さんが見えて,仏壇を亡母が寝ていた部屋の壁際の茶箪笥の上に置き,その中に仏具を並べ,お位牌とご本尊は,明後日の法要に持参しなければならないので,中身を確認させていただいてから,箱に戻して,お布施等の袋と一緒の場所へ。
 仏具屋さんは,お茶を少し飲まれてから,20分程でお帰りに。

 その後,これから相続人としての,未払い年金,高額医療費・介護費用などの請求手続きをはじめとする諸手続きに必要となる戸籍関係の書類の請求が必要となるので,相続関係の手続き一切は,私が代理人としてやらせていただくことになったので,まず,火葬場で受け取ってきた所沢市における死亡後の各種手続きに必要な書類などが表示されている書類の確認。

 明後日の法事の段取りについての打合せを済ませてから,義弟の車で駅の近くのサイゼリアまで。
昼食をいただきながら,いろいろなお話。
 3月18日と19日の万座温泉へのバスツアー(私と弟二人の各家族全員で義弟を励ます会,参加予定者8名)には,参加してくださるとのこと。
 いつお話しようかと考えていた先日メールをいただいた元の勤務先の役員の方からのご親切なお言葉も伝えることができた。最初は,そんなこと言われてもというそっけない返事だったが,15分位してから,「○○ちゃんのこと,とても心配してくださっているようなの。」という話から始めた再度の話には,嬉しそうなお顔もされて,すべて拒否ということでもなさそうだったので,うまく修復できるかもしれないという期待が・・・。考えていたよりも早く話せて良かった。

 帰宅後,メールをいただいた役員の方へ,本日,本人に先日のメールで頼まれたことを伝えた旨の報告。

(義弟は,私の実母が昭和28年9月に死亡した後,昭和29年3月に亡父の事実上の後妻として,男の子1人を連れて我が家に同居するようになったその男の子で,当時小学1年生で上の弟の1年下。その後,昭和34年2月頃亡父が失業して経済的にかなり苦しい状態になった中で,母子で我が家を出て,亡義母の実家で暮らすようになったが,その実家のご両親もご兄弟も良い方ばかりで,それからも,亡父も含めて,家族同様の交際が続いて,現在に至った。
 義弟は,勉強の方は,得意でなかったので,中学校卒業と同時に,鋳物屋さんに勤務するようになり,数年前まで,その会社に勤務して取締役にまでなっていたが,突然退職を希望して,退職してしまい,その後は,ずっと,自宅で,亡母の介護に専念して来たもの。
 役員さんからのお話は,お香典をお届けしたいということと,また会社の仕事を手伝って欲しいというもの。)

 帰宅した際,覗いた郵便受けに,管理室からのメモ。
 管理組合の理事長さんからの伝言として,時間があれば,明日の午後7時からの「管理向上委員会」に出席して欲しいという内容
 コンシェルジュさんに,「メモの件,承知いたしました。」と申し上げて,エレベータへ。