5月20日(参考資料の郵送,△△さんから退院の連絡,写真展,脳脊髄液減少症患者・家族支援協会の会長様ご来宅)

今朝も午前5時に起床。
 朝刊を読んでから,上告・上告受理申立事件について追加提出予定の諸資料の郵送準備。
 書類の準備が済んで,レターパックの宛名書き。
 記録到着通知書に記載されていた担当書記官のお名前は,昔,市川出張所でお世話になった書記官さんということに初めて気付いた。皆さんいろいろなところでご活躍のようで,嬉しい。
 
 レターパックを持って,エレベータに乗ったら,○階からタケル君とお母様。「チケットありがとうございました。」とお礼。
 小学校1年生と思っていたので,毎日学校をお休みしての1か月の舞台は大変なのではと心配していたのだが,幼稚園の制服と小さなリュック。まだ幼稚園の年長組だったよう。

 ボストへの投函を済ませて,家に戻ったら,電話。
 △△さん(亡夫の親友だった方の奥様)からだった。
 「今日の午後退院することになりました。」というご連絡。
 「午後1時に来客があるので,お客さんが帰られたところで,ご自宅の方に伺わせていただきます。」と申し上げた。「お忙しいのに,ご無理なさらなくて結構です。」と言われたが,伺わせていただくことに。

(追記)
高校の1年後輩の◎◎さんからメール。
私と同期の☆☆さんの写真展に一緒に行きませんかというお誘い。
 一昨日届いた☆☆さんからの葉書を拝見して,私も8日に伺おうと考えていたので,ご一緒させていただくこに。
 私と◎◎さんが副会長をしていた当時の高校の同窓会の元会長もご一緒とのこと。
 とても楽しみ。
 http://www.photo-sirius.net/tenji/dnp%e5%86%99%e8%ae%83%e4%bc%9a%e3%81%86%e3%81%a4%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%8b%e3%81%84-%e7%ac%ac%ef%bc%91%ef%bc%95%e5%9b%9e%e5%b1%95/

(追記)
協会の会長(理事長)さんと副理事長さんが見えて,1時から3時近くまで,いろいろなお話。
これまで正会員(年会費1万円)だったのを,プロフェッショナル賛助会員(1年目の会費は10万円,2年目から12万円)に変更させていただくことになった(訴訟事件の主張立証に役立つ情報や諸資料の利用がこれまでよりも容易になる見込み。早速,先日,裁判長から次回期日までに主張立証を終えるよう言われた事件の準備への協力もお願いした。)。

 お二人をバス停までお見送りした後,△△さんのお宅へ。
 到着したのは4時半頃。
 3時過ぎにお帰りになられたそう。
 弟さんのほかに,ケアマネさんとヘルパーさんと介護施設の関係の会社の方らしい男性がお二人おられたが,男性お二人は,間もなくお帰りに。
 その後,買物に行かれていたという介護施設の方が食料品の袋を提げて,戻られ,賑やかに。

 △△さんは,椅子に腰掛けておられたが,一人で,ベッドに移る練習。なんとかできそう。

 6時少し前にケアマネさんが帰られた(その直前,△△さんがケアマネさんに質問。私が先日病院に伺った際,お話したことをよく覚えておられたのだ。さすが才媛(御茶ノ水女子大学のご卒業)の奥様。帰り際,私からケアマネさんに「こういう者です」と申し上げて,私の名刺をお渡しした。少し前に「どういうご関係の方でしょうか」というお尋ねがあったので「弁護士です。亡くなられたご主人と私の夫が親しくさせていただいていた関係で,いろいろお世話させていただいております」と回答した。)後,15分程して,ヘルパーさんお二人も,「今晩の8時半頃,また伺わせていただきます。」と言ってお帰りに。

 弟さんと私は,6時半頃,一緒に△△さんのお宅を出て,三田線の電車に。弟さんとは巣鴨でお別れ。
 私は,日比谷で降りて,ビックカメラの前からバスに乗って,帰宅。

メールの確認をしたら,受信メールの数が40件(ほかに迷惑メールが28件。直ちに全部削除)。
 その中に,元依頼者の□□さんから,相談に伺いたいので都合のよい日時を指定して欲しいというメールが届いていたので,月曜日の午前10時でいかがでしょうかと返信。
 出版社の■■さんから,原稿依頼の資料を宅急便で明日の午前中に着くよう送ったのでよろしくというメールも。
 明日は1日不在の予定だが,宅配ボックスに入れてもらえると思うので,了解の旨,返信。

 明日も,午前中△△さんのお宅に伺って(甥の◇◇さんが見えるようなので,大事なお話も。)から,1時からの中央大学学員会(中央大学の全卒業生の同窓会の本部)の協議員会に出席の予定。講演会,協議員会,懇親会の全部に出席する旨連絡済み。