7月29日(熊谷へ、年金記録の訂正請求の申立て、自治体判例研究会)

 東京発8時52分の新幹線(マックスたにがわ)で、熊谷に9時30分到着。
 依頼者宅で持参した申立書と証拠の内容について説明しながら、ご本人の署名や押印が必要な箇所に署名押印していただいて、提出書類の準備を済ませた後、近くのお店で昼食。

 午後1時半頃、年金事務所へ。
 受付番号が表示されて、○番の受付へ。
 受付は、女性の方。
 申立書と書証の内容を手短かに説明。
 「担当の者に見てもらいますので」と言われて、申立書と書証の写しを持って、席を立たれてから、暫くして、「お母様の未支給年金の決定通知が届いているはずですが、お持ちではありませんか」というお尋ね。依頼者から「そんなものいただいていません」という回答。
 その後、更に15分位してから、ご担当らしき男性の方と一緒に戻ってこられて、「お父様、お母様と、同一の世帯だったという証明が必要なので、戸籍、除籍謄本の各附票をとって、この届出用紙に必要事項を記載したものを提出して下さい」というお話。
「申立人本人が明日市役所で交付を受けて、届出書と一緒に持参」することに。
窓口の担当者から、申立書と書証の写し一式は、一旦持ち帰って欲しいと言われたので、当職は東京に住んでいて、また出てくるのは大変なので、戸籍の附票と届出書は、追完という扱いにしていただき、申立書と書証の写しは、本日受け取って欲しいとお願いして、持参した書証の原本の確認をしていただいてから、本申立てに及んだ経過についての説明。
 その後、依頼者も一生懸命、説明。
 「第三者委員会がこちらの申立てを認めてくれなかったので、遠藤弁護士に相談して、訴訟を提起していただいたのです。遠藤先生は、元熊谷の裁判所の裁判官でした。」ということも。
 担当のお二人は、その説明にびっくりされたよう。
 「お手数をおかけして申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。」と丁寧にご挨拶して、相談窓口を離れ、待っていてくださった、依頼者の弟さんの所に戻ったら、「1時間20分かかりました」と言われた。
 その後、熊谷駅まで送っていただいて、新幹線で東京へ。
 5時に帰宅。

 5時半に家を出て、弁護士会館へ。
 
 6時半から、自治判例研究会に出席。
 
 研究会の後は、地下の「かつら」で懇親会。
 研究会の会長先生に、5月におはなしさせていただいた年金記録訂正請求の申立てを本日熊谷に出掛けて済ませてきたということや、申立書の用紙には、社会保険労務士の氏名と事務所の所在地などを記載する覧はあるが、弁護士についての欄はないので、「社会保険労務士」という部分を抹消して、「弁護士」と訂正し「弁護士」の肩書きで自分の氏名を記載し、事務所の所在地と名称も記載しておいた、申立てが棄却されたときは、行政訴訟を提起できるということにされたのだから、行政庁への申立ての時点から弁護士が代理人となる場合もあるはずなのに、まるで、社会保険労務士しか代理人になれないかのような申立用紙の記載は適当でないと思ったということも。

 銀座四丁目で10時18分発の最終のバスに乗って、帰宅。

 熊谷の依頼者から、夕方、市役所で証明書の交付を受けたとのことで、その書類の写しがFAX送信されてきていた。
 市役所の担当者に、住民票の写しと受け取られるような説明をしたよう。遅い時刻で申し分けなかったが、返信のFAXを試みたが、先方の器械が不具合になっているのか、エラーに、暫くして、依頼者から電話。
 住民票の写しと戸籍の附票の違いを説明してから、明日の朝、もう一度市役所に行って、戸籍の附票と除籍謄本の附票をとっていただくようお願いし、本日とっていただいた証明書も役に立つので、年金事務所には、明日とれた書類と一緒に持って行っていただくようお願い。

 明日もいろいろと忙しいので、今晩は、これから3時ころまで起案の続き。