3月12日(弟の誕生日,勝どき千歳会への入会申込書,勝鬨塾の会合)

 午前6時起床
 朝刊を読んでから,メールの確認

 今日は,気仙沼の弟の誕生日
 7年前の3月11日の晩,自宅の裏の小高い場所から気仙沼の中心街が真っ赤に燃えている様子を眺めながら,妻子は,「お父さんは誕生日の前の晩に死んでしまった」と涙を流したそう。

 昨日の朝読んだ甥のブログには,
 「今日は震災の記念日。あの日一度はもうダメかと思った父が菓子を焼いて持ってきた。今日の日に全員が揃うのはあの日の情況を考えると奇蹟に近い。ほんの少し風向きが違うとか、1台車に道を譲ったとか。些細なことが分かれ目となり、そして私達もまた多くの水をかぶった人達や食料のない人を支援した。・・・」
と書かれていた。

 弟は,あの大きな地震の時は,気仙沼市役所にいたが,急ぎ勤務先のホテルに戻り,それから数日は,ホテルの中で,宿泊客のお世話もしながら忙しく過ごし,数日後に,初めて自宅に戻って,妻子に無事な姿を見せた後,またホテルに戻って,電気も水道もない中で,毎日,一生懸命頑張ってきたよう。
 私が弟からの電話で,皆無事と知ったのは,20日過ぎ(ホテルの屋上でようやく私の事務所への携帯電話が通じたそう)。
 3月末に,新宿から復興支援の深夜バスが出ることを知って,それに乗って,仙台まで行き,夕方の気仙沼行きのバスに乗り換えて,気仙沼の総合体育館前に到着したのは,6時頃。
 そこから,夜道を歩いて弟の家に行くつもりでいたところ,弟が「うまくガソリンが手に入ったので」と車で迎えに来てくれて,10分程で,弟宅に到着。ローソクと私が持参したカメラ用のランプ(3月11日に地震の後,6時から開催予定の会議に出席すべく弁護士会館の10階の会議室に出かけ,どなたも見えていなかったので,事務所に引き返す途中,ビックカメラの前で,「懐中電灯の代わりになりますよ」と販売していたのを購入したもの)の光の中で,午前1時頃まで,3人からいろいろな話を聴き,翌朝,瓦礫で一杯の周囲を案内してもらったが,その様子は,想像を絶するものであった。

 弟は,今は,地元の観光協会の仕事をさせていただきながら,「語り部」として,気仙沼を訪れる人達に被災時の様子を説明しているよう。
 これからも,妻子とともに,明るく,元気で過ごして欲しい。
 お誕生日,おめでとう。


 本日の私のこれからの予定は,
  午前中は,家で事件関係の仕事。
  午後は,2時から4時まで,勝どきおとしより相談センターでの「勝鬨塾」に出席。
  その前に,昨日,○○さんからお預りした勝どき千歳会への入会申込書を役員さんのお宅に届ける予定。

(追記)9:33
8時半頃,家を出て,勝どき三丁目の千歳会の役員さんのお宅へ。
○○さんの入会申込書をお渡しした。
 帰宅後,○○さんに報告のメール。
  
(追記)16:30
午後2時からの「勝鬨塾」の前半は,勝どき駅の傍の薬局の先生からの災害に備えての薬手帳などのお話。
 後半は,太極拳の実技入門。女性の先生がお二人見えて,丁寧なご指導。
  
(追記)17:38
高校の同窓会のシニア会の開催準備会幹事の□□さんから,次のようなメールが届いた。
「来年、NHK大河ドラマは「いだてん」、府立第二高女の地理の先生で、オリンピックマラソン出場の金栗四三さんが主役となります。
NHKから協力の要請があり、坂原先生と取材の協力させていただいています
これから竹早時代のシナリオ作成に入るそうです
体育館の詳細、とりわけ内部の状況など様子が知りたいそうです
写真があればとのことですが、どなたかお持ちの方はおりませんでしょうか
どのようなものでも構いません、よろしくお願いします」

 私は,高校時代,体育関係のクラブには属していなかったので,おそらく無いのではと思われるが,一応探してみることに。