10月1日(新米を宅急便で義弟へ,東京校歌祭出場)

午前5時起床
朝刊を読んでから,メールの確認

 午前9時頃,栃木県の方から送っていただいた新米10キロのうち,6キロ余りを,狭山ヶ丘の義弟宅へ,クロネコ宅急便で発送(毎朝一日分のご飯を炊いて,義母の仏前にお供えしている)。

 本日は,正午に荒川区民館に集合して,竹早高校は,零時半開始の東京校歌祭の三番目に出場。
 これから,高等女学校の校歌をもう一度ピアノに合わせて,練習して,10時20分に家を出る予定。


(追記)18:44
午前10時20分に家を出て,バスで銀座四丁目まで,そして日比谷線で三ノ輪へ。少し歩いて都営荒川線の三ノ輪橋から都電に乗って,2つ目の「荒川区役所前」で下車。
徒歩3分位の所に,荒川区民会館サンパール荒川」。
 1階に各校ごとの受付。
 ○○さんが座っておられて,ご挨拶の後,出席者名簿に卒業の回数と氏名を記載。
 
 トイレに寄ってから,隣の建物2階の楽屋の1号室へ。

 幹事さんのほか既に12名位の方が見えていた。
 幹事さんから,舞台で全員着ることになっているTシャツを購入(いつも2000円で販売しているが,そのうち1000円は寄付なので,今回は1000円で結構と言われたが,気は心と考えて,2000円払わせていただいた。
 色はベージュに。着替えのコーナーですぐ着替え。

 そうこうするうちに在校生も見えて,皆さんTシャツ姿にに。

 12時20分頃,西川区長がお見えに。
 久し振りにお目にかかった同級生の西川君に「同期の遠藤です」とご挨拶したら,「偉い方で,頭が上がりません。高校の時は,女性にはかなわなかった。」などとおっしゃってから,「高女の校歌は歌えませんが,高校の校歌は大丈夫」とおっしゃって,何も見ずに,歌詞をすらすらと。

 秘書の方が見えて,区長さんは,会場へ。
 間もなく,モニターのテレビに区長さんの挨拶されるお姿が映った。
 ご挨拶の後,楽屋に戻って来られたので,幹事さんが,区長さんに「これをお召しになってください」とTシャツを差し出したら,すぐ次の所に行かなければならないので,このまま(背広のまま)で」と言われたそのすぐ後に,秘書の方が見えて,「今日は,区内で,運動会がいくつもあり,区長に回っていただかなければならないので,これで失礼させていただかなければならなくなりました」とのこと。
 区長さんは,「残念ですが」とおっしゃって,来賓用の赤い花を胸から外されて,楽屋から出て行かれた。

 その後,係の方が,「舞台の袖に」と呼びに来られて,全員,舞台の袖に移動して,整列して,待機。
 2番目の白鴎高校の歌が済んだところで,舞台へ。
 
 高女の校歌も高校の校歌も,うまく歌えた。

 ホールの外の集合場所で,全員並んで記念撮影。

 その後は,区民会館二階の食堂でということになって幹事さんと一緒に行ってみたが,全員は無理と分かって,区民会館の外へ。

近くの中華料理店に人数分の空席が見付かったので,ここに入って,それぞれランチを注文。
 
 食事が済んだところで,解散となったが,私と同じ席でランチをいただいた3人は,3時からの他の高校の校歌も聴こうということになって,ホールに戻った。 お1人とは途中ではぐれてしまったが,○○さんと私は最後まで鑑賞。
 どの高校の皆さんも,一生懸命歌われ,中には,伴奏は,ピアノとフルート,指揮をされていた方が,途中から,バックのコーラス付きで,すばらしいバリトンで歌われるというすてきな演奏や,見事な混声四部合唱の校歌など,聴き応えのあるものばかり。
 聴いていて涙が出たのは,2002年に閉鎖されたという千歳高校の校歌の後に歌われた明正高校と一緒になって新設されたという芦花高校の校歌を在校生と一緒に千歳高校同窓会の皆さんが歌われた時,曲も歌詞も,本当にすばらしい校歌。

 弟2人が卒業した文京高校のブラスバンド付きの演奏も,弟2人の代わりによく聴いて,舞台の様子もデジカメで撮影してきた(先日,お墓参りの後の昼食会の席で,下の弟か,「僕がいた時は,文京高校には,まだ校歌が無かったので,校歌は知らない」と言っていたが,そのとおりだったようで,高校の校歌は昭和45年にできたという説明があった。「旧制中学当時の校歌は,歌詞が軍国主義過ぎるので,高校では歌わなくなっていた」との弟の説明だったが,本当にそのとおりの歌詞だった。

 来年は,杉並公会堂で11月3日とのこと。
 今から,とても楽しみ。

 ○○さんと荒川線の停留所でお別れして,6時15分頃,帰宅。

 義弟に,電話で,「新米を送りました。明日の午前中にそちらに届きます。」と連絡。とても喜んでくれた。