12月17日(訃報,葬祭センターへ,マンションのクリスマスパーティ)

午前6時起床
朝刊を読んでから,メールの確認

午前9時過ぎに,「千葉の○○です」という電話。
「今,◎◎ちゃんが来て,お母さんが亡くなり,近所の葬儀屋さんに250万円,お寺に50万円払わなければならなくなったが,お金がないので,貸して欲しいと言われたが,そんなお金はないので,『きみちゃんに連絡したの』と尋ねたら,まだしていないというので,電話させていただきました。」というお話。
 ご遺体は,葬儀場に預けてあるよう。
 お通夜は20日,葬儀・告別式は21日の午前9時半からとのこと。
 ○○さんは,故人の亡弟の奥様。昨年ご主人を亡くされたばかり。
 「お寺への支払いの方は,こちらでいたしますので,葬儀屋さんへの支払いの方よろしくお願いします。」と言われて,電話はお終いに。

 少ししてから,○○さんからもう一度電話。「鳩ヶ谷(故人の親戚)が明日の午後2時に葬議場に行って,相談してきてくれることになりました。」という連絡。

 明日の午後は,ビックカメラからの配達の予定が2時から4時に入っているので,品物を受け取ってから,葬議場に行って来ようと考えているところ。

 とりあえず,インターネットで所沢市若狭の葬議場のホームページを開いて,
 生花(32400円)と弔文(540円)の申込み。どちらも弟2人との3名の連名に。
 葬儀費用の支払いは,事前に頼んでおけば,クレジットカードが使えるよう。

  そこまでした後,気仙沼の上の弟に電話で連絡。
  次いで,下の弟にも。
  お通夜の晩は,民事訴訟問題等特別委員会での研究報告とその後の忘年会の予定が入っているので,出席は無理だが,21日の葬儀・告別式には出席可能。
  気仙沼の弟は,目下体調不良とのことなので,無理して出てくることはないと話し,お通夜は下の弟に参列してもらうことにし,葬儀・告別式には私と,可能であれば,下の弟と二人で,最後まで(葬儀費用の支払いも)ということにする予定に。

 故人は,私たちの母が亡くなった翌年の春,◎◎ちゃんを連れて,我が家に来てくれて,私が高校1年生の時まで,事実上の母として,私たち姉弟の世話をして下さった方。享年95歳。
 お世話になりました。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

(追記)
話をするのは,早い方がよいかもしれないと考え,12時少し前に家を出て,有楽町から有楽町線西武池袋線を乗り継いで,狭山ヶ丘へ。
 葬祭センターは,駅から3分ほどの場所。
 玄関の受付でベルを鳴らしたら,事務室から男性の職員の方が出て来られた。
 「△△さんの親戚の者なのですが,△△さんのご遺体がこちらと伺ったので,できれば面会させていただきたいのですが」と申し上げたら,「どうぞこちらへ」とすぐ右の霊安室に案内された。
 冷凍状態で保存されているのかと思ったら,お線香などの台のすぐ向こう側に白い布を掛けられて寝かされていたのが,△△さん。とても安らかで美しいお顔。
 面会を済ませてから,先ほどの職員の方に,ご担当の方が見えたら,葬儀の規模についてもう少しこじんまりしたものに変更していただきたく,明日の午後,喪主と一緒に親戚の者が来る予定なのでよろしくということなどお伝えいただくようお願い。

 葬祭センターの玄関を出てから,◎◎さんの携帯に電話。千葉からの帰り道で,あと40分程で帰宅できるとのことであったので,◎◎さんの自宅の前で待たせてもらうことにした。

 帰ってきた◎◎さんの後に,もう長いことお会いしていなかった,故人の上の弟の□□さん。
 □□さんもビックリ。「きみちゃんよく来てくれた」と喜んでくださった。
 △△さんと◎◎さんが我が家にいた当時,暮れになると,日本橋でお飾りのお店を出していた□□さん(「山本山」や「はいばら」の松飾りは毎年□□さんだった)のお手伝いに姉弟揃って行き,最後の日に沢山お小遣いをいただき,新年には,出初式で□□さんの勇姿を見るのがとても楽しみだった。

 昨年の故人の下の弟の四十九日の法要に参列した際は,□□さんはお身体の具合が良くないとのことで,ご欠席だったので,今回の葬儀も無理かもと考えていたのだが,随分お元気になられていて,今日から葬儀が済むまで,ずっと◎◎さん宅に泊まって(20日の晩は葬祭センターの和室に◎◎さんと一緒にお泊り)お手伝いしてくださるそう。
 葬儀費用の方も,□□さんが面倒見てくださることになったようで,「ご心配なく」と言われた。
 明日の葬儀屋さんとの話合いには,私も同席させていただくことになり(お通夜と火葬場から戻って来てからのお清めの料理の注文もしなければならない。250万円の内訳を見せてもらったら,お清めの費用や会葬者へのお土産代などは含まれておらず,別計算と判明,別計算分も含めた請求額は300万円を超えてしまうところだった。)2時までに葬祭センターに行く予定(ビックカメラには,明日の2時から4時の間に配達してもらうよう頼んでいた電球4個は,宅配ボックスに入れてもらうようメールで連絡)。

 ◎◎さんのワゴンカーに乗って,3人で葬祭センターまで行き,故人との面会を□□さんにしていただいた(目に一杯の涙)後,狭山ヶ丘の駅前でお別れ。

 急ぎ,帰宅して,顔を洗い,着替えをしてから,6時20分頃,マンションのクリスマスパーティに出席。
 7時半頃まで,皆さんと楽しいお話。
 「遠藤さんのお陰で,このテーブルに並んでいる果物とお菓子が買えました」と女性役員の方々からお礼を言われた。

 家に戻ってから,郵便受けに届いていた不在連絡票で,同窓会の役員の方が送ってくださった冷凍食品を明日の午前中に再配達していただくよう郵便局に電話で連絡。
 次いで,弟二人に,電話して,狭山ヶ丘での様子を報告。
 下の弟が,勤めを休んで,21日の早朝からずっと一緒に参列してくれることになった。
 ビックカメラの配達担当へのメールも。

 20日のお通夜は,当初,委員会での研究報告と忘年会があるので,失礼させていただこうと考えていたが,研究報告を3時からの委員会の最初にやらせていただいて,4時前に弁護士会館を出れば,5時半からのお通夜に間に合いそうなので,忘年会は欠席させていただいて,お通夜にも参列させていただくことにした。

 レジュメは,今晩のうちに完成させてしまう予定。
 
 明日は,午前10時から,先日見えて,十分ご理解いただけなかったことが後日判明した依頼者との二回目の打合せ。
 打合せが済み次第,依頼者と一緒に家を出て,狭山ヶ丘に向かう予定。