令和2年1月14日(火) 不在の間に届いていたメール90余通,マイホームはるみの昼食会

午前5時半起床

朝刊を読んでから,メールの確認

不在の間に届いていたメールは90余通。

気仙沼の義妹からの初めてのメールが届いていたので,返信。

ところが先方の設定の関係のようで,送信不能のメールの着信。

自宅に電話して,電話に出た弟に事情を説明して,義妹への伝言を依頼。

 司法試験に挑戦したいと考えているという通教の卒業生から,私がどのような勉強をして試験に合格したのか教えて欲しいというメールが届いていたが,昭和45年当時の試験に合格するための勉強方法が現行の試験の勉強方法に役立つというものではなく,メールの送信という方法で,短時間で説明できるようなことではないということもあり,メールでの回答はお断りする予定。

 

 本日のこれからの予定は,

   正午から零時半頃までマイホームはるみでの昼食会に出席

   帰宅後は,管理組合の総会資料の中の町会・渉外関係の部についての説明書案の作成

   その後,信窓会東京支部の会報に掲載予定の「気仙沼旅行記」の起案(投稿していただける方が少なかったので,その穴埋め)

 

(追記)翌朝記載

 マイホームはるみの昼食会の献立は,ご飯,味噌汁,金目鯛のみりん焼き(付け合せは青菜の油炒め),ジャガイモ,玉ねぎとコーンの煮物,マンゴの缶詰

 帰りに,区民センターの斜め向かいの食料品店で買物(揚げ立てのあんドーナツ,かぼちゃ,ホーレンソウ,塩鮭の切り身,ゴマ煎餅)。

 帰宅後,管理組合の総会議案書用の町会担当部分の原稿の起案。

 5時頃,管理会社の担当者と理事長宛に送信。

   

 

令和2年12月13日(月) 気仙沼旅行第2日目

午前4時半起床

5時に,温泉へ(この温泉は,弟がこのホテルの支配人をしていた平成17年に発掘に成功し,気仙沼温泉と名付けられたもの)。

 5時半に部屋に戻って,義弟が温泉へ。

 7時から朝食。会場は,2階の大広間。

 バイキングで,沢山のご馳走が並んでいた。

 8時過ぎまで,4人一緒に,楽しい朝食。

 朝食の後,ホテルの中のお土産店でお土産を買って,お店を出たら,丁度,女将さんにお会いできて,ご挨拶とお礼。

 フロントで会計を済ませてから,部屋に戻って,9時に1階へ。

 弟夫妻もすぐに来て,出発ということに。女将さんが見送ってくださった(今日は,これから行事に列席されるため,志津川のホテル観洋に行かれるのだそう。)。

 

 ホテルを出た後,まず,できたばかりの気仙沼大島大橋を渡って,大島へ。島内を車で一周。

 大島には,前に2回来たことがあった。

 1回目は,仙台地裁に勤務していた当時,司法修習生数名と一緒に「気仙沼大島椿マラソン」に出場した際。

 2回目は,亡夫と事務員と3人でクラブツーリズムのバス旅行に参加して,大島に一泊した際。

 

 再び大橋を渡って,気仙沼市の中心部へ。

 お魚市場を一回りしてから,階上(はしかみ)の伝承館へ。

 ここは,津波で壊滅状態となった高校を遺構として残そうということになり,その一部に「伝承館」という施設が建設されたのだそう。まず,展示を眺めてから,津波などのビデオの鑑賞。被災直後の階上中学校の卒業式での卒業生代表による当時の場面では涙が溢れた。

 この場所は,弟の自宅のすぐ傍ということから,弟は,頻繁に通って,語り部としての仕事をさせていただいているよう。

 

 伝承館の次は,昼食をということになったが,行った先のお店は,お休み。その並びの「CAFEREST」という看板のある店で昼食がとれるのではないかと入ったら,OKとのこと。

 私はビーフシチュー,他の3人はカレーライス(いずれもサラダとスープ付きで,1000円)を注文し,おいしくいただくことができた。

 

 その後は,途中の道の駅で買物をしてから,甥の自宅へ。

 義弟は,初めてで,甥との間で,いろいろ話が弾んでいた。

 おいしいフルーツケーキ(昨年亡くなった義妹の弟の長女が焼いてくれたものだそう)と紅茶をいただいた。

 

 新幹線に乗り遅れないよう早めに出発をとお願いして,こんどは,甥が運転して,5人で一ノ関へ。

 5時少し前まで駅構内の喫茶店で歓談。

 5時に改札口で弟一家とお別れ。

 5時22分発のやまびこ170号に無事乗車。

 8号車は,ガラガラ。

 甥には,時間の節約のため,上野駅で降りてもらうことにして,上野でお別れ。

 帰宅したのは,8時半近く。

 気仙沼の弟の携帯電話に,「今帰宅しました」と電話。

 弟夫妻も甥宅から今気仙沼の自宅に戻ったばかりとのこと。

 この電話のすぐ後に,義弟からの電話。「お世話になりました。今家に着きました。」という連絡。

 10時頃就寝。

 

 

 

 

令和2年1月12日(日) 気仙沼旅行第1日目

午前4時半起床

朝刊を読んでから,メールの確認

信窓会東京支部支部報の編集長さんから,10日のメールの趣旨は,原稿の入稿日を11日で締切りとする趣旨ではなく,早く提出して欲しいと連絡したに過ぎないなどというメールが届いていたので,返信。

 本日と明日は,気仙沼旅行なので,その間,自宅への電話,FAX

,メールへの返信は一切できなくなります(携帯電話による受信はしておりません。)。

 

(追記)14日に記載

 午前7時のバスに乗って,東京駅へ。

 千疋屋で弟とホテルのおかみさんへのお土産(フルーツケーキの詰め合わせ)を買ってから,朝食用のお弁当とお茶各2名分を購入。

 山手線のホームで義弟の到着を待つことに。

 携帯電話で時刻の確認をと画面を見たら,義弟からの着信があったことが分かり,電話したら,西武線が人身事故で停車中で,東京駅に到着するのが遅れてしまいそうとのこと。とにかく動き出したら,予定のコースで東京まで来るようにと連絡。

 暫くして,池袋に着いたという連絡。

 新幹線の発車時刻は,8時48分。

 8時20分頃,電話で,「上野で降りて,新幹線ホームに行って,やまびこ42号に乗ってください。分からなかったら,駅員に尋ねるように」と連絡。

 私は,待合せ場所から新幹線のホームに移動。

 定刻,新幹線に乗車。

 上野でドアの前に立ったら,ドアの向こうに義弟の姿。

 間一髪で間に合って,義弟が私の席の隣に着席。

 親切な駅員さんが,今走ってくる電車が「やまびこ42号です」と教えてくださったのだそう。

 という経過を経て,一ノ関に定刻到着し,改札口で待っていてくれた弟と,笑顔で,会うことができた。

   そのほか,新幹線に乗ってきた義弟から,暮れに交通事故に遭って,大変な思いをしたという話を聴いて,びっくり仰天。

 軽乗用車に乗って走っていた際,対向車がセンターラインをオーバーして義弟の車に衝突し,義弟の車は修理不能の状態に。義弟は身体のあちこちを打撲し,肋骨が折れていたが,幸い,生命に別状はなく,入院はせず,通院による加療を受けるようになったとのこと。乗っていた車は,昨年新しく購入したばかり。

 気仙沼旅行への参加は無理ではないかと考えていたが,なんとか行けそうということになって,その準備をし,本日に至ったのだそう。

 

 一ノ関の駅前で,義妹(弟の妻)と会って,弟の運転で,気仙沼市内へ,そして,更に陸前高田へ。

 まず昼食をということで,陸前高田の「やぶ屋」という老舗のお蕎麦屋さんへ。

 店内は混んでいて,入口のストーブの前の椅子に腰掛けて,30分位待ってから,店内へ。

 レストランが少ないので,こういう混雑になるとの説明。

 私は,カレーうどんをいただいた。とてもおいしかった。

 ほかの3人は,天ぷらそばなど。

 昼食の後は,「つばき園」の見学。

 温室の中の世界中の椿の花を30分位かけて眺めた。

 

 その後,気仙沼市内に戻って,4時少し前に,気仙沼サンマリンホテル観洋へ。

 ホテルでは,まず,フロントでのチェックイン。

 1部屋での予約だったのだが,最上階の洋間付きの2部屋(1002号と1003号)を各2名宿泊として,準備してくださっていた。

    まず1002号室で,お茶を飲みながら,4人での歓談。

 甥は,夕食に間に合うように来て,夕食は,バイキングではなく,和室の宴会場(個室)に準備してくださっているとのこと。

 5時から温泉へ。

 6時に宴会場へ。

 板長様作成の献立表がテーブルの上に。

 まず,食前酒で乾杯。

 あとの飲み物は,女将さんからのサービスにしていただけるという説明がご担当の方から。

 間もなく,甥が到着。

 義妹は,気仙沼生まれの気仙沼育ちなのだが,生ものが食べられないとのことで,ホテル内の和食店から,焼き魚などの出前を別途注文し,お刺身は,活き鮑の陶板焼きのお鍋に全部入れて,バター焼きに。熱を通すわけには行かない生ものは,他の人のテーブルへ。

 亡夫の妹は、義妹と同じ女子高校の卒業生なのだが,やはり生ものを食べることができず,お寿司屋で食べられるのは,卵焼きと海苔巻きだけ。

 おいしい海の幸をお腹一杯いただいて,8時に宴会終了。

また,1002号室に集まっての歓談となり,甥は,11時頃,帰宅。残りの4人は,それぞれ入浴などしてから,就寝(1002

号室では,洋間のベッドに私,和室の布団に義弟が寝た。)。

 

 

 

令和2年1月11日(土) 気仙沼旅行の前日

午前6時起床

今朝は随分寒い。

朝刊を読んでから,メールの確認。

本日の予定は,

 ロハコの配達品の受領(午前中)

 明日と明後日の気仙沼旅行の準備(お土産の購入ほか)

    管理組合の総会資料のうちの町会・渉外関係の活動報告と活動経緯各部分の記載案の作成(14日締切り)。

 その他諸雑務の整理。

 

(追記)17:48

    正午過ぎに,ロハコの配達。

 雑貨と食料品を注文したのだが,届いたのは雑貨だけ。

 

 その後,メールの確認をしたら,気仙沼のホテル観洋から,予約内容の変更を受け付けましたという標題のメールが届いていて,宿泊者の人数が5名から4名に減員と言う内容。恐らく,弟一家の誰かが夕食の後,泊まらずに帰宅したいということになり,弟からフロントにその申出がされて,予約内容の変更ということになったのではないかと推測され,帰宅するのは,恐らく,猫を飼っている甥で,2日目に4人でホテルを出た後,甥の自宅に寄って,合流してから,昼食場所を経て,一ノ関へというプランを組んでくれたのであろう。

 明日の新幹線は,東京発8時48分,一ノ関着11時23分のやまびこ43号

 明後日の新幹線は,一ノ関発17時22分,東京着20時08分のやまびこ170号

 (いずれも30%割引のトクだ値切符)

 

令和2年1月10日(金) 家裁川越支部へ

午前5時起床

6時50分に家を出て,バスで勝どき駅前へ。大江戸線で勝どきから月島へ。月島から,東武東上線乗り入れの有楽町線に乗り換えて,和光まで。和光から急行に乗り換えて,川越に,8時15分頃到着。

 これからすぐバスに乗っても早過ぎるので,川越駅ビルのパン屋さんに寄って,モーニングサービスをいただきなから,一休みした後,東口の7番のバス停に停車していたバスに乗車。裁判所に到着したのは,9時15分頃。

 9時半過ぎに依頼者が到着。

 一緒に4階の相手方待合室に。

 10時から調停開始。

 申立人,相手方,申立人,相手方の順で入室。

 次回期日は,3月27日午前10時,当方からの書面の提出期限は,2月7日ということに。

 期日終了後,川越駅ビルの中のうどん屋さんで,けんちんうどん定食と抹茶アイスをいただきながら,依頼者との打合せ。

 東京駅からの帰宅途中のバスを,勝どき三丁目で降りて,勝どき千歳会の役員さんのお宅に。2月2日の新年会の参加申込書3名分と参加費12000円を持参したのだが,ご不在のようだったので,郵便受けへ。

 帰宅して間もなく,上記役員さんから,「ありがとうございました」というお電話。

 その後,狭山ヶ丘の義弟から,チケットが届いたが,その使い方が良く分からないので,教えて欲しいという電話。

 池袋駅で,JR の改札口でチケットの挿入口に12日分のチケットを挿入すれば,中に入れるということを説明。

 夜遅く,メールの確認をしたら,信窓会東京支部支部報の編集長さんからのメールが届いていて,支部報の原稿は,11日に届いたものしか登載できないと読める内容が記載されていたのでびっくり。支部報の封入作業の時期が当初考えていた2月9日から2月24日に変更されたので,原稿の提出は1月末までで間に合うのではないかと考えていたのだが・・・。

 取りあえず,急遽,支部長挨拶の原稿のみ作成して,送信したところ。

 

 

 

令和2年1月9日(木) 残務の整理

午前5時半起床

朝刊を読んでから,メールの確認

本日の予定は,諸残務の整理

明日の予定は,

 午前10時から,さいたま家裁川越支部で遺産分割調停事件の期日。期日終了後,依頼者との打合せをしてから,夕方帰宅の予定。

 

(追記)14:51

     午後2時頃,ポイントが溜まっていたので,ロハコでのショッピングの注文を入力していたら,複合機に大量のFAX文書の音。

 明日の事件の申立人代理人からの主張書面の再送付(訂正箇所があるよう)と遺産目録と資料の送付。

 A4のコピー用紙が残り少なくなっていたため,A3

に印刷されて出てきたので,A4の大きさに切断してから,記載内容を確認して,受領書の送付。その後,PDFにして,依頼者宛にメール添付の方法で送信。

 上記作業を終えてから,ロハコのショッピングの入力の続き。11日の午前中に配達してもらうことに。

 外は,暖かそうなので,これから,月島温泉に出かける予定。帰りに夕食の買物も。

 

令和2年1月8日(水) 各種原稿の執筆,一ノ関到着時刻を気仙沼の弟に連絡

午前6時起床

朝刊を読んでから,メールの確認

本日の予定は,各種原稿の執筆(信窓会東京支部の会報用の原稿2通,管理組合の総会資料用の原稿2通)

 

(追記)翌朝記載

 午前8時頃,「警視庁の○○です。」という電話。

 アポ電詐欺の一味からの電話としか考えようがないので,電話を切った。

 5分後に,電話のベル。

 またかと思いながら,「ハイ」とのみ言って,電話に出たら,千葉の☆☆さんからだった。

 「海老蔵さんの襲名披露の公演,口上が含まれるのは,夜の部でしょうから,その晩はホテルに泊まる予定です。ご一緒に鑑賞できるようお願いします。」という内容。いずれ,「右團次と右近の会」から申込書が届くと思うので,届き次第連絡させていただきますと申し上げた。

 

 夕方,10日の事件の申立人から主張書面がFAX送信されてきたので,その内容に目を通してから,受領書の送信。次いで,PDFにして,依頼者宛に,メール添付で送信(若干の説明を記載)。ついでに,10日の待合わせ時刻なども連絡。

 

 午後6時頃,気仙沼の弟に電話して,12日の一ノ関到着時刻を連絡(迎えに来てくれるので)。